Higher brain dysfunctionな日記

高次脳機能障害なネタを書いていきます

何があったのか-その1

 

 

昨日はちゃんと診断書受け取りました。 

 

 

 

さて…………

 

 

 

よくよく考えてみますと、なんでわたしが高次脳機能障害になったのか、そこいら当たりの経緯を十分に説明していなかったな~、と思いました。

ということで、それをまとめてみようと思います。

何回かに分けて書くことになるかもしれません。

まずは、事故に遭ってから、急性期の病院で、ということで。

昨年の2月のことでした。

わたしは特定保健指導を受けていて、それもあって帰りに一駅分歩くようにしていました。

御茶ノ水から秋葉原まで、約20分です。

下り坂なのであまり負荷はかかりませんが、それなりに早歩きをしていたので、結構体を動かしていたと思います。

そのような中、昨年の2月19日のことでした。

 

いつものように、JR御茶ノ水駅近く、聖橋の交差点を渡っているときに(これは後でわかったことですが)軽トラックに跳ねられたそうです。

これまた後で知ったのですが、わたしは青、相手が赤信号だったそうですから、所謂10対0の事故ってことですね。

跳ねられた後で、ご存知の方はお分かりと思いますが、御茶ノ水(聖橋)で客待ちをしているタクシーが止まっているのですが、それにぶつかって路上に倒れたそうです。

警察(管轄は警視庁神田警察署)の本件担当の巡査部長によると(というか、これも後で聞いたのです)、タクシーが止まっていたお陰で助かったそうです。

そうでなければ、コンクリート製の欄干にぶつかっていて、或いは命はなかったと………。

ついてたんですかね~。

それはさておき、その後わたしは救急車で日大病院に運び込まれました(伝聞、以下同)。

御茶ノ水界隈には大きな病院がたくさんあって、ちょっと上げると順天堂大病院、東京医科歯科大病院、そして日大病院ですが、これまたついていたのか、運び込まれた先で待っていたのは、その日たまたま(?)救急の外来担当だった脳外科の先生だったわけです(K先生ありがとう)。

事故の直後に、家族あてに東京消防庁(救急隊)から電話があったそうですが、わたしが事故に遭ったなんて夢想だにしない家族は、

「新手の詐欺では?」

と思い、しばらくそうしたやり取りがあって、その後詐欺ではなく本当だとわかり、すわ!病院へとなったそうです。

運び込まれたのが会社にほど近い日大病院というこtで、家族が駆け付けた時には会社の方々の姿が多くあったと(ありがとうございました)。

わたしは意識もなく、集中治療室(ICU)でたくさんの管につながれていたそうです。

担当の脳外科の先生曰く、

「今日明日がヤマ場」

ということで、まあ、一歩間違えると(?)こうしてブログなんか書いていることはできなかったわけですね。

 

この間の家族の思いは、相当なものだったようです。

今でも、この時のことを話し出すと、泣いていたりしますので、相当だったんでしょうね~。

ICUには、何だかんだと数日いたようですが、その後は意識は戻らないものの、ちゃんと普通に病室にいたらしいです。

家族によると、呼びかけにも答えていたようですが、わたしの記憶にはありません。

そんな時間がどのくらいだったのか。

自分でしっかり覚えているというのは、ちょうど1年前の今日くらいです。

3月になったあたりからは、リハビリにいったり、お見舞いに来てくれる会社の人たちが誰だったりということをおぼろげに覚えています。

この頃には流石に命の危険は去っていて、事故時に打った腰の骨が折れていたのも何とか直ってきたようです。

前歯が3本ほどやられて(今治療中)、でも移動は車いすデシタ。

PT(理学療法士)さんのリハビリがきつかったのを覚えています。

そして、3月の下旬になって、リハビリテーションの専門の病院への転院となったわけです。

これはまた次回に。