Higher brain dysfunctionな日記

高次脳機能障害なネタを書いていきます

何があったのか-その4

無事に退院の運びとなりまして(昨年の5月末)。

うちに帰ると大変なのは、あれこれ普通にやれていたことができなくなっている点でしょう。

布団から起き上がるのすら大変で。

病院では如何に守られていたのかを思い知った次第です。

「あぁ、病院はいいな~」

と何度思ったかしれません。

とはいえ、家で暮らさなければならないのは当然ですね。

会社に挨拶に行き、6月1日から通い始めることになりました。

といっても、主治医のアドバイスっていうか、申し入れ事項もあって、通常よりも2時間短い勤務時間でした。

朝夕各1時間短縮での勤務形態です。

朝夕の1時間は結構大きいデス。

これで随分と助かりました(というか、社会復帰に役立った)。

何が大変かというと、体力がなくなってるんですね~。

普通に歩いていても、速度がこれまでと比較にならないくらい遅いんです。

人がたくさんいいるというシチュエーションにも慣れていませんから、余計に気を使ったりして(使わなかったりして)。

 

でもって、わたしの高次脳機能障害はここから大いに猛威を振るい始めます。

兎に角、電車や路上でマナーのなっていない輩に腹が立つこと腹が立つ。

電車では、携帯電話(スマートフォン)で通話をするのはいうに及ばず、ゲームをやっているような感じの兄ちゃんのスマホが肩に触れたりしたら、腹の立つことこの上ない。

座った隣で、スマホを弄っている姉ちゃんの肘が当たってくると腹立つ腹立つ。

会社のある千代田区は路上喫煙禁止なんですけど、路上でたばこを吸っている兄ちゃん集団がいれば腹立つ腹立つ。

勿論、ただ腹が立つだけなら問題ないんでしょうけど、そういうモードになるとわたしは黙っていません。

必ず注意します。

これがたまに(結構頻繁に)トラブルに発展します。

場合によって、警察に介入してもらうこともしばしば。

あちこちの警察署に、わたしの住所・氏名・連絡先が残ってます(笑)

これらは主としてわたしが悪いのではなく、相手方に問題があるというのがこちらの言い分ですが、必ずしもそうではない、というのが一般的な考え方だと、その都度叱られます(家族に)。

先日参加した「ちば家族のWA」でも話題になったのですが、高次脳機能障害の人は、往々にして

「正義感が強い」

という傾向があるそうです。

そのため、こうしたトラブルになることが多く、患者(?)の多くはそれ故に大変な思いをしているということでした。

まぁ、わたしはまったく悪いとは思っていませんけど(家族は大変みたいだけど)。

細かな症状を挙げるときりがないのですが、ちょっとだけ紹介すると……

・気分の浮き沈みが激しい

・人の名前を思い出せない

・約束を忘れる

・感情のコントロールができない

・気が散りやすい

・しつこい(粘着質)

・話を繰り返す(繰り返し同じことを言う)

・ちょっとしたことでもすぐに怒る

・勝手に大きな買い物(車)をたびたびする

   ・ 

   ・

   ・

   ・

   ・

   ・

   ・

って感じです。

一緒にいる家族はたまらないらしいです。

まるで別人だとよく言われます(本人自覚なし)。

でも、わたしは特に問題だと思ってませんし、まったく悪いところはなく、非常に回復していると思ってます。

病院と会社ではそんなことはないんです(ないつもりです)。

でも、仕事関係でも穴あけてしまうこともあったりしますから、少々大変かもしれませんね。

いいんですけど(本人自覚なし)。

という感じで、日々生きてます。

ここを読んでくれている人も大変少ないと思いますが、そういう奇特な方々は、

「こいつ本当に障害者なのかな?」

とお思いかもしれません。

わたしの場合、身体的、知的にはまったく問題がありません。

ですから、外見的には健常者です!

このサイト

をご覧いただくとある程度分かっていただけるかもしれません。

精神に問題があるんですね~。

所謂精神障害者です!

ICD-10(国際疾病分類)でいうと「F06 脳の損傷及び機能不全並びに身体疾患によるその他の精神障害」に該当します(と主治医が申しておりました)。

脳というのは不思議な臓器で、一度壊れた細胞をもとに戻すことはできないそうです。

なので、今回の事故でいかれてしまったわたしの脳細胞は、そのまま、ってことなんですね~。

脳挫傷」「びまん性脳損傷」「くも膜下出血」「急性硬膜下血腫」「脳室拡大」………

というのが、わたしが運び込まれた時の様子です。

家族に聞いたら、

「あんたはICUに移るまでに2~3日時間がかかったんだよ。それまでは救急救命センターで生死を彷徨ってたよ」

っていわれてしまいました。

 

てな感じで、わたし自身はよくわかってません。

でも、これからもいろいろとありるでしょうが、そうした日々の出来事を書いていきますのでよろしくお願いします。

ではまた。